昨日、今日、ある裁判の判決の報道にあわせて「前置胎盤」という言葉を幾度となく聞かされ、見かけさせられた。
それ、その経過中は 不安で怖くて仕方なかったなぁ。。
妊娠初期は実家近くの大病院で診察を受けていて、その後 自宅を引っ越したので転院するつもりだったところを、転院とりやめにして、結局 出産を当初からお世話になってた大病院ですませたんだもん。
最初は はぁ?って感じだった。
赤ちゃんの出口(子宮口)を胎盤がふさいでますよ…って超音波写真を見せられたとき。
それから、そのリスク…瞬く間にバケツいっぱいに出血するとか、だから母子ともに危険になるし場合によってはよっちゃうというようなこと---について丁寧に説明を受けて、帝王切開の出産になることが多いことも聞かされて。
後期からは薬を飲んで子宮の収縮をおさえて、家で ひたすら体を横にして安静を保つ退屈で気が変になりそうな日々。
ハイリスクのマタニティライフで気は滅入るばかりだったけど、「その時」は結果的には大安産だった。
妊娠がすすむにつれて、胎盤がふさいでた子宮口からぎりぎり はずれたこと。
当時、私の担当医だった部長先生は「これなら ぎりぎり赤ちゃんの頭で胎盤を押さえながら下から分娩(自然分娩のこと)できるかも」と決断してくれた。さいわい妊娠経過中に出血が全然なかった。
分娩は出血と破水で始まった。さすがにこのときは「おしるし」とは呼べないような出血で始まったので、アワくって深夜の病院へ駆け込んだけど。
当直の先生は2人。おひとりは緊急帝王切開中。残った先生は研修医。
事情を説明すると、裏で看護師さんだか助産師さんだかに相談してる声がカーテン越しに聞こえて来てた。
こういっちゃなんだけど、この先生はおなかの上から超音波で胎盤をみつけることができなかったんだぞ〜〜〜。確かね、「あれ?ない!」って言ってた。
そんなはずあるかいなっ!(笑)
いつも外来で診察してもらっていた部長先生は、ふつ〜におなかの上から超音波で観察していたのにぃ
で、結局 「そんな ややこしい人はこのまま入院してもらって!」
…
ややこしい???
…看護師さんだか助産師さんだかに指示していた声が、カーテン越しに聞こえてましたぜ。
ところが この夜、婦人科&産婦人科病棟はベッド満杯。
なもんで 私が入院したのはいきなり陣痛室だった。
もう分娩室や陣痛まっさかりの苦しい声が聞こえてくるもんね…刺激的。
しかし破水していたので、自分もあっという間に10分間隔。
かえって 陣痛室、大正解
妊娠中は リスクのことで頭がいっぱいだったけど、結果的に、「その時」はあっけなく ふつ〜に終わった。
入院から10時間後の出産。分娩室に歩いて入っていって30分後。
分娩後の処置をしていた先生が、助産師さん相手につぶやいてた。
「一瞬、出血が多かったな…」
(
それでも母子手帳には出血量は中程度という記載になっているけど)
娘誕生後、私の外来担当の部長先生が外来診察中に私のところへ抜け出してこられて、一仕事終えて呆けている私の右手を両手で握り締めて
「よかった〜〜大安産で〜よかった〜〜よかった〜〜」
私と同様のケースでは場合によれば大出血でまたたくまに…ということも珍しくはないというその恐怖を先生も危惧していたのかと実感した。。
これまでの人生の中で 実は一番のピンチだったとようやく気付いた(笑)。
真っ最中は知識不足もあって 自分の置かれている状況がよく掴めていなかったというか、不安だけど、でも崖っぷちだとは思ってなかったからなぁ…。
ほぼ「綱渡り」状態で、無事に出産できたことは ほんとうに幸せなことだったんだな。
後日、同じような症例の人が、母体を守る理由で赤ちゃんを早期に帝王切開で出産し、結局 赤ちゃんは数時間後に…というドキュメンタリをテレビで見た。
涙がとまらなかった…。
赤ちゃんを世に送り出すのは 命を懸けた一大事業。
難しいケースのクジを引き当てた妊婦さんと後に残された家族のニュースを見聞きするたび、複雑な思いにとらわれる。
正直 人の力ではどうにもならないことが間違いなくあるんだなって思う。
だから「妊娠は--出産は 病気じゃないんだから。誰もが経験することなんだから」と、考えも無く無神経な言葉を口にする人を心の底から軽蔑する。
出産で命を落とす可能性が常にあることを意識できない人を叱り飛ばしてやりたくなる。
産婦人科がどんどんなくなっていっているニュースに触れるたびに、私を守ってくれた先生を思い出す。
すべてのプレママさんとすべての産婦人科の先生方に、報われない思いに絶望するケースがふりかかることのありませんように。
祈ってやまない。